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最新おからだ治療院

20241027 ボンジョビの声が好き

おはようございます。おからだ治療院のシバクサです。本日も皆様の健康をサポートするためにがんばります。どうぞよろしくお願いいたします。

今日は答えのない話です。理屈くさい話です。でも大事だと思うので書きました。
今日、道新を読んでいたら、「男ならば」というタイトルでエッセイがありました。とあるミュージシャン(ボンジョビのことかと)が自殺を試みようとした人に説得して思いとどまらせたニュースについてラジオのコメント。「男を上げましたね」。ファイターズの監督や選手のコメントで「男なら仮借りを返す」「監督を男にしたい」岸田前首相の「女性ならではの感性、共感力を発揮して」などなど、安易な男らしさ女らしさに対する表現を注意するべきだといった内容でした。

今の時代に「女だったらいいのか」と言われてしまう表現はしない方がいいと私は思います。と同時にいつか「女だったらいいと言っているようなモノだ」と批判するのは安易だと思える時代になって欲しいです。男として女として(今時はそれ以外のマイノリティも含めてですが)、生きてきた過去にその人自身が誇りを持つことは普通だと思うし、そうあるべきだと思います。その誇りについて、自分以外のカテゴリーを否定する意味は本来含まれていないと私は考えます。サッカー等の国際大会で日本代表が、「日本の誇りをかけて戦った」と言ったら、対戦相手に失礼なのか?

一方で、そのエッセイにもあったのですが、ナニナニらしさという思い込みを無くすことは重要だと思います。そもそも私自身男らしさとは無縁なキャラ設定で、そんな自分を理解や受容できるようになったのは、案外中年になってからだと思っています。ナニナニらしさは義務であり、その人の自由意志の結果が誇りなのではないか。

元々、男性優位の社会があったことは事実で、男女の差をなくしましょうという動きがあり、それと同時に男女以外のLGBTと呼ばれるマイノリティも加わって、更にナニナニらしさという先入観で社会が混乱していると思います。そんな過渡期のなかで「男としてと」発言するのはデリカシーがないと思います。嫌な過去を思い出す女性は絶対にいるはずです。しかし一方で仮に発言にデリカシーが無かったとしても、その人が男として誇りを持つのは自由であるので、発言者を否定するのも反対です。そして、両者に共通して言えることは思考の停止だと思うのです。大事なのは、それぞれがその人らしさをそれぞれ探すことであり、自信をもつことであり、それを認め合うことなのではないか。思考を停止している場合じゃないと思うのです。

そんなことを思っていたら、ドラクエのニュースが目に入りました。新しいドラクエのゲームでは男女設定が変更になったとのこと。どうなるかと思ったら、男と女からタイプ1とタイプ2に変更されたそうです。こういう変更は私にとって正に思考の停止です。みなさんはどのようにお考えですか?

おからだ治療院では、鍼灸のこと、健康のことなど質問を受け付けています。今日も良い一日お過ごしください。

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